(株)あ佳音 AKANE.INC戦後の廃墟と化した首都東京。 そんな東京の真ん中、銀座数寄屋橋に聳え立つ銀座教会の教会堂。 そこに集ったのは、今まで触れたくても触れることの出来なかった自由の空気を、そして、、、、 心を方らかに表現できる「音楽」を誰よりも愛する若き青年たちでした。 その中心となったのは当時戦争から復員したばかりの遠山3兄弟。一行、信二、直道。 クリスチャンの家庭に育ち、長姉と共に成城学園の合唱にも所属していた彼らは、 当時の政財界をリードしていた諸先輩、友人、知人に声をかけ、荒廃してしまった祖国、 そして疲れた人々の心、魂を癒す為に、また心に希望の灯をともす為に ともに「宗教音楽研究会」を組織します。 今でも銀座に響きわたる「カリヨン」の響き。それは、復員者、闇市の出稼ぎ労働者、戦災孤児、、、 東京に、そして、銀座に集まった様々な人の心に染み渡ります。 今ではどこでも当たり前に歌われるようになったハレルヤ。クリスマス礼拝のハンドベル。。。。 一行は後に音楽評論の道に、信二は指揮者として音楽と楽団の世界に、、、 後に祖父の仕事を引き継ぐことになった直道は音楽出版ダヴィッド社を組織し、 戦後の音楽教育に大きく貢献しました。 時代は、多くの人が、音楽に希望を見出し、経済復興を実現していった・・・・そんな時代でもありました。 人類の歴史は、発明と改革、そして発見との共存でもあります。 紙、印刷物が貴重だった時代。。。。。その心は現代に「楽譜」となって伝わります。 20世紀には蓄音機、78回転、録音、電波、放送、映画・・・・へと、様々な形に変化し、 産業の発展と共に市民が手軽に親しむことの出来るレコード、CD,DVD, そしてインターネットによる新しい世界が誕生します。 戦後すぐにウィーンへと夢を抱き、兄一行(フランス)とともに外地へ渡った若き:故遠山信二は、 指揮の道を選び、群馬交響楽団、東京交響楽団他 国内外様々な活動を残したまま1986年、 道半ばにして、その思いを後進に残したまま世を去ります。 残された婦人の;故遠山昭子を支えたのは、他でもない、 あの「宗教音楽研究会」の創立当時から共に時をはぐくんでくれた 信二を囲むたくさんの仲間と、遠山家に伝わる賛美歌の響き、、、、 そしてなにより「音楽」でした。 1991年、遠山信二の逝去5周年を偲ぶ会には、篠崎史紀を始めとする、 信二の音楽人生を共に支えてくれたたくさんの人々が集まり、 思い出のサロンにて、信二の好きだった「音楽」で故人を忍びました。 その日の演目はベートーヴェン/ピアノト三重奏曲「大公」。 この日が、あ佳音が本当に誕生した記念の日。 その後、初代代表:故遠山昭子は、音楽、楽譜、理念、希望、たくさんの貴重な人材に恵まれ あ佳音を創業。 当時の東芝EMIの先鋭のスタッフ、東京の経済界を支えた関係者の温かいサポートの中 第1回の演奏会は、音楽の友ホール アレンスキー/ピアノ三重奏曲第1番、第2番。 ヴァイオリンは勿論、篠崎史紀、そして影で支えたのは、遠山信二を支えた音楽をこよなく愛する諸氏たち。。。 曲目解説:故栗原浩、故後藤田篤夫、秘書:故堤 直寛 他 、、、、、でした。 時代は平成に変わり、Twitter, Facebook, Line,Instagrum.... 第一次世界大戦から100年、第二次世界大戦からは70年が過ぎようとしています。 聖書がそうであるように、音楽と楽譜の前にどの人もみな平等。。。。。 演奏家も、聴衆も、スタッフも、関係者も共に音楽を生み出す創造者です。 創業者:故遠山昭子、戦後の日本をリードしたたくさんの政財界人の熱い志を大切にしながら 新しい息吹はあ佳音の演奏家へ、新代表:遠山信之へ、新しいあ佳音へ引き継がれ 今後も 音楽と、それを大切にしてくださる皆様の心に寄り添いながら 前進していきます! 音楽を愛するように、これからもあ佳音に温かいご理解とご支援いただけますよう 心よりお願い申し上げます。 株式会社 あ佳音 代表取締役 遠山 信之 |